佐賀県唐津くんちの曳山修復を手がけました。


それぞれの町の誇りでもある、14の曳山。

唐津くんちの曳山は、「和紙や漆、金箔などで仕上げられた世界最大級の乾漆造の美術工芸品」とされ、その美しさ、迫力は見事なものです。曳山そのものも、佐賀県の重要有形民俗文化財となっています。旧唐津城下にある14の旧惣町がそれぞれ曳山を所有しています。今回、保存修復の依頼があったのは、水主町(かこまち)が所有する13番曳山の「鯱(しゃちほこ)」でした。
 

 


秀吉の朝鮮出兵のゆかりの街で。

町名の水主(かこ)とは水夫など水にかかわる職業を表す言葉です。この町は、かつて物流の主軸であった松浦川に近く、水にまつわる人たちが多く暮らしていました。鯱は、虎の頭部に魚の身体をもった空想上の生き物。水と関係があることに加え、唐津市が豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄慶長の役)の拠点だったことからも、秀吉ゆかりのモチーフとして選ばれたようです。
 


職人の魂を感じる、巨大な漆器。

唐津の曳山は、乾漆とよばれる、重ねた和紙を漆で固めていく技法で造られています。台車を含めた高さは6.5メートル、長さ4.4メートル、重さは2.2トンです。これを手作業で造るわけですから、大変な時間がかかります。最初の制作にはおおよそ3年ほどを費やしたといわれています。当社の職人たちは、この巨大な“漆器”を作り上げた職人たちの情熱と技量には圧倒される思いだったと、言っています。



 


困難に挑戦する気持ちで、引き受けた仕事。

この鯱の修復は、伝統的に輪島塗の職人が手掛けてきました。今回は、輪島の田谷漆器店様が修復を担当することとなり、金箔については、技術的な信頼から箔一の名前をあげていただきました。最初にお声がけをいただいたのは、作業に入る2年ほど前のことでした。曳山の保存修復には、かなりの困難が伴うことはわかっていましたが、一定の準備期間もあり、こうした機会をいただいたことも成長のチャンスととらえて、まさに挑戦者の気持ちでお受けすることとなりました。

  


素材や技法も文化財の一部。その全体を受け継ぐために。

文化財の保存は、姿かたちをだけを残せばよいというものではありません。そこで使われた素材や技法も含めて、全体を受け継いでいくことが求められます。唐津市には修復委員会があり、詳しい資料やデータ、作業内容などは残されていました。しかし、やり方がわかったとしても、これを実行するには、大変な困難が伴いました。

 


現代では、ほんとど使われない素材も扱う。

箔の接着には漆を使うこと。それも国産漆に限るという指定がありました。国産漆とは大変に希少なもので、国内でも1~2%程度しか流通していません。そもそも、漆とは中国原産の樹木で、江戸時代であっても輸入が主力です。国産漆は品質が良いとされていますが、職人の立場から見ると扱いの難しい手ごわい素材です。
 


かつての技法と素材を、そのまま使う難しさ。

漆での接着は、湿気の管理が重要です。漆には空気中の水分と反応して硬化する性質があり、これを利用するためです。扱いは厄介です。漆が乾く前に貼ってしまえば、内側に固まっていない部分が残ります。しかし、乾きすぎた漆の上に箔を押せば、接着が弱くなり剥がれやすくなります。薄く塗った漆が固まる直前のごく短いタイミングを見計らうことで、美しく、かつしっかりと箔が貼れるのです。そのうえ今回は、扱いが難しい国産漆。さらに、曳山は大きなものですので、湿気や温度のコントロールも簡単ではありません。また、金箔は、三倍厚のものを使用します。これは、金閣寺などでも用いられているものですが、現代の工芸品で使うことはほとんどありません。それら一つの課題だけでも、職人にとっては大変なハードルですが、今回はそのすべてを同時に解決しなければなりませんでした。
 


いくつもの検証を行って、本番に挑みました。

私たちは、こうした難しい状況でも、金箔の輝きや質感は最高のものにしたいと考えていました。現地から漆や金箔のサンプルを持ち帰り、様々な温度や湿度の中で検証をしました。作業期間は決まっていますので、現地で試行錯誤するわけにはいきません。国産漆を取り寄せ、湿度温度を微調整する中で、最適の手法を模索しました。長期にわたり、何度も失敗を繰り返した中で結論を得て、本番に挑みました。
 


困難だった、漆の選定と環境の管理。

今回の修復作業では、重要な二つのポイントがありました。
一つは国産漆の選定です。漆は、採取や精製の仕方で品質が変わります。その見極めによって、仕上がりは大きく左右されます。事前に入念なテストをしていたものの、実際にどのような反応があるのかは、やってみるまで分かりません。また、もう一つは環境です。漆は、温度と湿気の調整が必要です。それは漆の種類や塗布する厚みによっても変わってきます。その日の気温、天気でも変化するほど繊細なものです。そのうえ、曳山ほど大きなものとなれば、上部と下部でも環境が変わってしまいます。

こうした難しいポイントをクリアしなければ、この仕事をやり遂げることはできません。
準備して挑んだ、本番の日。初めて曳山に箔を押した瞬間、確信が持てました。自分たちの描いてきたプランが正しかったという確信です。
選んだ漆は、この作業環境において、まさに適正なものでした。もちろん温度と湿気の調整、漆の扱いには一瞬も気を抜けません。ただし、入念な準備と職人としての読みは当たっており、最も重要な部分はクリアできていたと感じました。


巨大な曳山に宿った、昔の職人の矜持。

この仕事を通じ、工芸の世界では必ずしも新しい技術が優れているわけではないと、改めて教えられました。かつての、今よりもっと不便だった時代の職人技に、感銘を受けることも多くありました。唐津くんちの曳山は、これだけ巨大なものでありながら、細部にわたって妥協がありません。人目にさらされない部分にまで、丁寧な仕事が施されています。そこには、職人の矜持が宿っています。まるで、遠い過去の先輩たちから、仕事に対する厳しさを教えていただいたようでした。
 


数百年の時を超える、昔ながらの自然素材。

また、古い材料を使うことにも、大きな意味があります。
金箔を用いた屏風絵などには400年、500年と時を超えて残る名作があります。こうしたもののほとんどが、膠や漆などの天然素材で作られています。だから、いつまでも残るのです。現代の化学的な素材には、高い性能があります。しかし、数百年という時間に耐えうるかはわかりません。人工的なものには、限界があります。たとえ、扱いが難しくても、文化財として受け継いでいくのであれば、昔ながらの素材を用いるべきでしょう。
 


昔の職人から受け取ったバトンを、未来の職人へ渡す仕事。

今回、数百年後まで残すための仕事という経験を通じて、多くの発見がありました。こうした経験も、次の世代の職人たちに受け継いでいけるという意味において、未来に向けた仕事であったと思います。

 


唐津の人々との絆も、忘れがたい思い出に。

唐津市での滞在は、3週間に及びました。
その間、町の人たちは、毎日、様子を見に来られました。食事にも誘っていただき、時にはお酒を酌み交わし、唐津のこと、お祭りのこと、曳山のことなど、実に多くのことを語り合いました。町の人たちが、職人に対して、尊敬の念をもっていただいていることも伝わってきました。当社の職人たちも祭りの一員として迎えていただいたようで、それもまた仕事への大きな励みとなっていたそうです。
唐津市は、玄界灘に面した美しい街です。いたるところで、唐津くんちのお囃子が流されており、この祭りが、地域の人たちにとって本当に大切なものであることを感じます。作業を終え、箔押しが美しく仕上がったときの町の人たちうれしそうな顔は、当社の職人たちにとって、生涯忘れられない思い出になっています。