【語り継ぐこと】あぶらとり紙の開発について

■語り継ぐこと Vol.2

語り部
浅野志津雄(箔一相談役)

金沢箔の文化を担ってきた方々に、歴史の話をお伺いしていきます。
今回は昭和40年代ごろ、断切り箔への変化があぶらとり紙につながっていく話をお伺いしました。

時代の変化とともに減っていった、ふるや紙。

昭和40年代に、箔打ちは、昔ながらの「縁付」から、現代的な「断切」へと変わっていきました。
このことで、金沢市においては金箔の生産性が飛躍的に高まり、独占的な地位を占めるようにもなりました。

一方で、困り始めたのは、使い終えた箔打ち紙を「化粧紙」として仕入れていた商人たちでした。縁付金箔を打つのに使う箔打ち紙は、使い終えると「ふるや紙」と呼ばれ、皮脂をよく吸い取ることから、化粧紙として京都の芸妓や役者たちの間で好まれていました。断ち切り箔では和紙ではなく、グラシン紙を使うため、こうした需要を満たせなくなっていたのです。
 

あぶらとり紙


新しい箔の文化の創造へ。

そういったこともあり、全国に催事などに出掛けると、「箔打ち紙はないか」と声をかけられることが増えていました。ただ、要望があっても、仕入れるルートは見つけることはできません。そもそも供給が少ないうえに、当時の私たちは業界の新参者とみられており、箔打ち紙を売ってくれる製箔業者もいなかったのです。

「ないのであれば、作ってしまえばよい」。そう考えて、新たに「あぶらとり紙」として箔打ちの技術を応用した新しい化粧紙を開発することになりました。研究はすぐに始まりました。箔を打つためではなく、最初から化粧紙を作る目的で和紙を打つ。そう考えると、様々なアイデアが生まれてきました。もともとのふるや紙は、箔打ち紙の再利用。そのため、灰汁や卵白、柿渋などを含んでおり、女性の肌には優れたものとは言えません。製造工程も清潔ではなく、価格も非常に高価でした。

私たちは、皮脂を吸い取るという性質を満たしつつ、清潔で品質が良く、安価で安定的に作れるもの。女性の肌にとって優れた化粧紙としての、新しいあぶらとり紙を目指しました。様々な和紙を仕入れては、職人がこれを打って、実際に使って試すことを繰り返しました。しかし、求める理想の和紙はなかなか見つかりません。当時は、試作のために仕入れた和紙が大量にたまってしまい、倉庫からあふれるほどでした。

 

ようやく出会えた、理想の紙。

理想の紙に出会えたのは京都でした。 西陣織では和紙を良く使うため、京都には良質の和紙が集まります。出張でたまたま顔を合わせた和紙メーカーの方に相談したところ、たいそう乗り気で、その日の夜には、もう宿舎に紙のサンプルを持ってきてくれました。その中に、理想的なものがあったのです。

これは、当時としては大変に珍しい機械漉きの和紙でした。
和紙は三俣(みつまた)や楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)といった植物から作られます。これらは繊維が長いことが特徴で、長い繊維が複雑に絡み合うことで丈夫な和紙が出来上がります。
その工程には熟練の技が必要で、機械化は難しいとされていました。それにチャレンジし、手漉きと比べてもそん色ない上質な和紙をいち早くつくっていたのが、この時であったメーカーでした。

「金箔打紙製法あぶらとり紙」は、この和紙との出会いによって生まれました。
この和紙の技術をベースに、様々な改善と調整を重ねてうみだしたのが「あぶらとり紙」用の和紙でした。
 

あぶらとり紙

金箔打紙製法のあぶらとり紙として。

あぶらとり紙は、実際に箔を打つようにして、何度も打ち上げて作っています。
水分を含んだ和紙が、打ち続けられることでやがて熱を持ち、ふわっと湯気がでます。
その湯気が収まると、生まれ変わったかのように透明で艶のある紙にかわります。
こうしたことは、長年、和紙の箔打ち紙を作り続けてきた職人だからこそできたものです。今は、あぶらとり紙の作り方も確立された技術がありますが、そのベースには、金沢で培われた箔打ちの伝統があることは間違いありません。

金箔打ち紙製法のあぶらとり紙は、さらに改良を重ねて、格子状の凹凸を入れ吸収力を高めるなど品質も向上しています。

現在では、様々なタイプのあぶらとり紙がありますが、金箔打ち紙製法のあぶらとり紙は、上質な和紙を使い箔打ち職人の技を用いて作ることを守ることで広く信頼を得ています。