2012年5月25日

アンテナショップの初出店

先日は、卸し営業について書かせていただきました。今回は卸し営業から、直営販売のチャンネルを持つまでを書かせていただきます。

 

卸 し営業からさらに認知度を高めていくため、石川県が全国で開催する物産展に参加し、認知度を上げることが早道と考え、その会に入会しました。しかし何度、 その物産展の参加申し込みをしても老舗が多く、出展を断られ続けました。石川県が補助金を出している物産展に特定の業者しか参加できず、新しい業者の育成 への非協力的な体質に疑問と、今までの慣習による非開放的な流れに不満を感じ、悔しさで一杯でした。

 

どんなに悔しくても状況は変わらず、年会費のみの参加が20年程続きました。何度やめようと思ったことか。しかし、既存勢力に負けてはいられないので、いつか「箔一ブランド」でデパートから逆指名がくるまで頑張ることにしました。

2012年5月15日

「箔一」ブランドの認知度を上げるために

今日は、先日書き綴った、卸し営業について書かせていただきます。ど根性営業からはじまり、やっとの思いで、漆器問屋さんと取引が始まりました。

 

注文が来て、商品を納品をしても40%は季節の入れ替えで返品されてきました。又、新しい商品を作って納品しても、入金を待たずして返品となり、その上注文が来ると即納しなくてはならず、商品在庫で資金繰りの悪化に苦しみました。さらに、当時はデパートの問屋協力会による商品を購入せねばならず、入金が相殺され、資金繰りが最悪の中、商品を考える力も、販売する力も失せる状態でした。

 

自分自身に、自信をつけることが当面の課題でした。

何のために仕事を始めたのかを問いかけ、金沢箔と自社のブランド形成のためと、原点に何度も立ち返りました。

2012年5月 5日

ど根性営業の幕開け

今回は、前回書き綴った「自社ブランドを構築するまでの販売戦略」の続きを書きたいと思います。

 

自分で作った商品に「金沢箔工芸品」と名づけて広めるには、1人で主婦・母・商品づくり・営業の何役もこなす必要がありました。しかし、時間と資金面で行き詰まり、途方にくれ、あせる毎日でした。漆器問屋の存在を知った事により、薄利でも卸しという販売チャンネルに変えることが金沢箔を広めるには近道と思い、早速デパートに影響力があり、しかも販売力のある大手問屋に営業に行きました。

 

恐る恐る会社の門をくぐり、声を振り絞り挨拶をしました。フロアに10人ほどいらっしゃいましたが、何度声をかけても返事も振り向きもしてくださいません。私の横を通りすぎる社員さんも何人もいましたが完全無視です。