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    <updated>2012-05-15T14:06:27Z</updated>
    
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    <title>「箔一」ブランドの認知度を上げるために</title>
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    <published>2012-05-15T13:45:54Z</published>
    <updated>2012-05-15T14:06:27Z</updated>

    <summary> 	今日は、先日書き綴った、卸し営業について書かせていただきます。ど根性営業から...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="創業者としての想い" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	今日は、先日書き綴った、卸し営業について書かせていただきます。ど根性営業からはじまり、やっとの思いで、漆器問屋さんと取引が始まりました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	注文が来て、商品を納品をしても４０％は季節の入れ替えで返品されてきました。又、新しい商品を作って納品しても、入金を待たずして返品となり、その上注文が来ると即納しなくてはならず、商品在庫で資金繰りの悪化に苦しみました。さらに、当時はデパートの問屋協力会による商品を購入せねばならず、入金が相殺され、資金繰りが最悪の中、商品を考える力も、販売する力も失せる状態でした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	自分自身に、自信をつけることが当面の課題でした。</p>
<p>
	何のために仕事を始めたのかを問いかけ、金沢箔と自社のブランド形成のためと、原点に何度も立ち返りました。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	このままでは問屋さんと取引しても、箔一が認知もされない、商品を買っていただいた方からリピートがこない、エンドユーザーとなるお客様の声を聞いて、商品企画に反映されない等の問題に危機感を感じ、策を練りました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<br />
	まずは、箔一を認知してもらうため、商品に「金沢箔の歴史」と「自社の住所」「電話番号」を入れた「しおり」を入れることにしました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<br />
	当時、問屋さんでは製造業者の名前をエンドユーザーに知られることを恐れていました。なぜなら、直接エンドユーザーから製造業者の取引になる可能性があるため、社名がわかる「しおり」などは絶対に入れさせてくれませんでした。しかし「箔一」を認知してもらわなければ長期的に「箔一」ブランドが残れないと考え、早速社名入り「しおり」を製作し、商品の中に入れると即、厳しくお叱りを受けました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<br />
	しかし、そこで諦めることはしませんでした。「しおり」は相変わらず入れ続け、お叱りを受けるたびに謝っていました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	そこでお叱りを受けない為の策として思いついたのが、商品の注文数を増やすことでした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<br />
	僅かの注文だから、商品の箱を開けられ、「しおり」をチェックされるという事に気が付きました。もし、大量に注文をいただけば、問屋さんはデパートへの納品に忙しく、「しおり」のチェックはされないと思いつきました。商品の品質チェックは私が自信を持っておこなっているので、品質チェックについては安心です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<br />
	そこで、納入価格を苦しいながら下げることで、相手側の利益が多く出るようにしました。オリジナル商品なので、特注が入るようになり、「しおり」についてお叱りを受けることもなく、さらにデパートで購入した人から直接注文が入るようになりました。ものづくりの思いを直接話すことにより、徐々に箔一の認知度を高めていきまし た。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<br />
	認知度が高まるにつれ、顧客様がつき、箔一の社名入りの「しおり」を入れてほしいと逆に要求されるようになりました。認知度が高まることにより、物産展にも出展依頼が来るようになり、いい循環が生まれ、益々販売を強化をしていきました。</p>
]]>
    </content>
</entry>

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    <title>ど根性営業の幕開け</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2012/05/post-31.html" />
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    <published>2012-05-05T10:58:16Z</published>
    <updated>2012-05-06T11:03:35Z</updated>

    <summary> 	今回は、前回書き綴った「自社ブランドを構築するまでの販売戦略」の続きを書きた...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
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        <![CDATA[<p>
	今回は、前回書き綴った「自社ブランドを構築するまでの販売戦略」の続きを書きたいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	自分で作った商品に「金沢箔工芸品」と名づけて広めるには、1人で主婦・母・商品づくり・営業の何役もこなす必要がありました。しかし、時間と資金面で行き詰まり、途方にくれ、あせる毎日でした。漆器問屋の存在を知った事により、薄利でも卸しという販売チャンネルに変えることが金沢箔を広めるには近道と思い、早速デパートに影響力があり、しかも販売力のある大手問屋に営業に行きました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	恐る恐る会社の門をくぐり、声を振り絞り挨拶をしました。フロアに１0人ほどいらっしゃいましたが、何度声をかけても返事も振り向きもしてくださいません。私の横を通りすぎる社員さんも何人もいましたが完全無視です。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	恥ずかしく、どうしていいのかわからず、足が震えてきました。踏ん張って声を何度もかけても知らん振り。1時間ほどたっても変化はありませんでし た。時間が経てば経つほどこちらにも腹が座ってきて、ここで帰ったら何のために東京まで来たかわからない、元が取れないと判断し、売り込みと思う来訪者に は挨拶をしないのはこの会社の社風なのだと色々観察をしだしました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	奥にいる人が偉い人だろうと思いながら「よし、相手が無視するのなら、気がついてくれるまでとことん待とう」と度胸を決め2時間ほど立っているとトイレに行きたくなりました。そこで大きな声で「おトイレはどちらですか？」と尋ねました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	そうするとやっと気がついて「君、まだいたの？何しにきたの？」と初めて声をかけていただいた人が、仕入れ担当の方だと後で知りました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	こちらのやる気を試されていたとしか思えない2時間の立ちっぱなしでしたが「箔一のブランド」を築くためのど根性営業での卸し営業の幕開けでした。</p>
]]>
    </content>
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    <title>自社ブランドの構築</title>
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    <published>2012-04-25T03:41:22Z</published>
    <updated>2012-04-25T03:42:02Z</updated>

    <summary> 	今日からは、自社ブランドを構築するまでの販売戦略について書きたいと思います。...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="創業者としての想い" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	今日からは、自社ブランドを構築するまでの販売戦略について書きたいと思います。</p>
<p>
	<br />
	昭和50年ごろ、やっと商品をオリジナルで作ってデパートの取引が始まり、商品を5品目程売り場にならべて頂く事になりました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	売れるかどうか、祈る思いでお客様を待っていました。ひとりの女性のお客様が来られて、1500円の小箱を一つ買っていただき、お金がレジに打ち込まれたとき、感動で胸が熱くなりトイレに駆け込み、うれし涙を流しました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	あの時の感動が今も甦ってくるのは、私の歴史であり忘れられない思い出です。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	しかし、次の月にデパートへ行くと商品はなくなっていました。売れたかと大喜びしたのですが、そうではなかったのです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	デパートには現地問屋さんがいて販売員を派遣して、自社の扱う商品を販売し売り場を守っているのです。</p>
<p>
	<br />
	私のようにデパートさんからの指示で商品を納入して、問屋さんの利益にならない任せきりの商品など面倒見てくれるはずなく、売りきれたら補充もしないのは当たり前という事を、その時はじめて理解しました。</p>
<p>
	<br />
	せっ かく取引がはじまった他の2、3箇所のデパートでも同じことでした。その上、補充のため送った商品の伝票も、売り場担当からいつ経理にまわり入金されるの かも曖昧で、デパートの縦割り組織の大きさと現地問屋の存在を知り、デパートとの取引を確実にするために、社員のいない私の販売戦略をどうすべきか、ここ から学び大きく変更して行ったのでした。</p>
]]>
    </content>
</entry>

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    <title>企業にも「躾の教育者」が大切</title>
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    <id>tag:www.hakuichi.co.jp,2012:/blog//41.379</id>

    <published>2012-04-15T02:14:43Z</published>
    <updated>2012-04-25T03:42:27Z</updated>

    <summary> 	私のOL時代に、長く勤めている４０代後半の女性社員がいらっしゃいました。 	...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="人財について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	私のOL時代に、長く勤めている４０代後半の女性社員がいらっしゃいました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	口うるさく、いつもいやみとも取れる言葉で、特に入社3年までぐらいの新人の女子社員に厳しい方でした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	「箸の上げ下ろし」「歩く時スリッパを引きずるな」「化粧が濃い」「スカートの丈が短い」「お辞儀の角度」「お茶の程よい熱さや、濃さ、出し方」「挨拶の声が小さい」「音を立てて食べ物を食べてはいけない」などとても細かい指導でした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	完全な小姑の存在で社内では「局」とあだ名をつけられていた程です。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	その「局」の言葉の中に「家でどんな躾を両親がしているのか。親の顔が見たい」というのが決め台詞でした。今の時代ではパワハラとなり、ありえないことです。親の事を指摘されることは1番の恥なので、叱られないように気配りと自分を律していたものでした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	しかし、当たり前の指摘なのに煙たがられるのは<strong>、自分が出来てない当たり前の事を、他人から指摘されることに不快感を感じているだけなのです。</strong></p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	考 えてみれば、仕事には全く関係ないことばかり、1日中誰かが叱られていました。新人は、本来家庭教育の中でマナーを身につけて、入社してこなくてはいけま せん。しかしそれが出来ていない新人が多く「局」の恒例化した躾に耐えた人が、結果的に会社にとって大いに役立ち、仕事と共に成長し会社の要になっていき ました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	現在は、新人教育において、躾や礼儀作法の通り一遍の事を、さも難しく専門業者を雇ってマナー研修をしているところが多いと聞きます。それは、社内教育者で悪役をかって出てくれる人がいなくなり、<strong>仲間化した事と、仕事以外は他人事になってしまっているからではないでしょうか。</strong></p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ちなみにこの「局」の職種は、当時電話交換手で教育をする役割の部門ではありませんでした。本来は他部署ですので、他人事のはずなのです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	今から思うと経営者になった私が、仕事以外で自発的に「躾の教育者」を待ち望んでいるのは、当時「局」の教育は、親の教育と同じぐらい企業にとっても大切な事で基本だったからです。それが社風となり、いい人材がいい後輩を育て上げていくのです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<strong>経営者が指導する事は仕事を推進する上で当たり前の事ですが、仲間や先輩からの指摘は「社風」となって継続されていくのです。</strong></p>
]]>
    </content>
</entry>

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    <title>指導の要</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2012/04/post-28.html" />
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    <published>2012-04-05T04:14:37Z</published>
    <updated>2012-04-05T04:21:05Z</updated>

    <summary> 	先般、当社も入社式が行われ、緊張した新入社員の姿を見て思わず笑みが浮かびまし...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="人財について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	先般、当社も入社式が行われ、緊張した新入社員の姿を見て思わず笑みが浮かびました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p style="margin-left:.05pt;">
	授業料を納めて学んだ学生時代から、会社貢献により給料を獲得する社会生活に変わる、まさしくその時の彼女達の胸のうちを思うと、私が初めて社会人一年生として入社した時、不安と希望が入り混ざり緊張した事を思い出しました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	当社の入社式には役職者を参加させましたが、新入社員を１日も早く、会社に役立つ人材に育成する義務感を感じて欲しいと思います。各々の人材育成に対する能力に期待しています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	入社（新卒・途中入社）当時は、誰もが意欲にあふれ「会社の役に立てる様、頑張ります」の言葉から始まります。しかし、本人に意欲があっても、彼らを束ねるリーダーの能力で考え方･行動は徐々に変わってきます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	社員の能力はどこで差がついてくるのでしょうか？それは指導する側の能力と、会社に対する情熱の差なのです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	まず人材教育は、自分の体験から「要」を教えることが重要です。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	例えば、私が着付けの先生をしていたときの事です。ある生徒さんが「着物を着るのは簡単で、もう学ぶことはないです」と答え、少しも真剣に授業を受 けませんでした。そこで「それでは自分が着た着物で、この１０段の階段を、３往復昇り降りをしてください」と言って、試してもらいました。すると、すぐに 着崩れし、見るも無残でした。着物をただ着ただけなのです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	それでは、着崩れしないためには、どこの部分を締め、ど この部分を緩くすれば楽で、着崩れしないかを、私の経験から着付けの「要」を教えました。そ して、同じ階段を上がり降りさせると、見事に着崩れがなく、生徒さんも実体験により、感心して、それ以後まじめに授業を受け、他の人より早く講師の資格を 取り、卒業していきました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	自分の体験から学んだ「実」を教えること、それが新人育成指導の「要」なのです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	さらに、能力や資質があっても、指導する側が会社や部下に対して、思いが高くなければ良い人材には育たず、いい仕事は出来ないと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	部下は、育てる人の志以上の人材には育ちません。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	上司の指導能力と，志次第で入社１年目、２年目と個人差がついてくるのです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	会社は新入社員が、１日も早く役立つ社員になってくれるよう、そして、新入社員と共に先輩社員は、高い志の中で「要」を押さえた指導をしてくれることを期待しています。</p>
]]>
    </content>
</entry>

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    <title>競争力の必要性</title>
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    <published>2012-03-25T06:40:17Z</published>
    <updated>2012-03-25T00:49:08Z</updated>

    <summary> 	今年も各々の会社で、新入社員の入社式が行われる季節になってきました。 	&amp;n...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="近頃思うこと" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	今年も各々の会社で、新入社員の入社式が行われる季節になってきました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	今年は寒さが格別に厳しかったにもかかわらず、寒さを乗り越え桜のつぼみが膨らんでくるのを見ると、力強い息吹を感じます。学生生活を終え新社会人になり、社会の荒波に乗り出した時、学生気分が抜けず挫折しないよう祈るばかりです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	当 社の土手に桜の木が何本か植えてあります。その中でも、幅60センチ程のコンクリートに囲まれ、根を伸ばそうにも横方向にしか伸ばせない端の1番過酷な条 件の場所に植わっている桜が、一番大きく力強く枝を伸ばし美しい花をつけるのです。その桜は、狭い横長のコンクリートにはさまれたところに桜･紅葉･桜･ 紅葉･桜･紅葉の順番に間隔狭しと密集し、自分の根を張ることも、栄養を取ることもままならず、夏には囲いのコンクリートが手に触れられない程熱くなり、 地面はカラカラになります。他の木と絡み合いながら、競争によって鍛えられ「生きる力」を自助努力で勝ち取っているのでしょう。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	その反面、広々とした場所で条件が最高に良い場所に植わっている桜は、ひ弱で成長が遅く世話をしても虫ばかり付き花は小さく枝が少しも太くならず過酷な場所の桜の半分しか有りません。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	厳しい条件下であるほうが、恵まれた条件下の木よりも早く大きく成長できます。植え込みの木々は、そんな自然の法則を教えてくれる我が社の教科書です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	この現象を実社会に当てはめると少子・高齢化が進み円熟した社会の中で、ゆとり教育を受けてきた現代の若者は、競争に勝つ事の意味をどのように理解しているのでしょうか。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	私は1946年の戦後の京都生まれで、ベビーブームを時代背景に、生まれた時から、否応無しに勝ち負けの競争のもと、成長してきました。両親から躾を厳しく学び、戦争の悲惨さや食べ物や物質に対してもったいないという言葉を教え込まれました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	姉 妹や学友などとも何事にも勝ち負けがついて回りました。幼稚園の入園も○&times;のくじで決まり、小学校は教室に生徒数の机が並びきらないほどで、1人の先生が 60名強の生徒を担当するすし詰め教育でした。勉強も、運動会も、入試も、就職も競争力の中で1番を目ざして勝って来ないと置いて行かれる時代でした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	「負けた悔しさを感じないものは、勝った喜びも感じない」これは父親から教わったメッセージで、現代の若者にも通用することだと思います。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>総論賛成各論反対</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2012/03/post-26.html" />
    <id>tag:www.hakuichi.co.jp,2012:/blog//41.373</id>

    <published>2012-03-15T01:39:24Z</published>
    <updated>2012-03-15T01:40:11Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 	東日本の震災から11日で丸1年がたった。 	&nbsp; 	阪神大震災の時も...]]></summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="近頃思うこと" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	東日本の震災から11日で丸1年がたった。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	阪神大震災の時も、東日本大震災の時も、私は股関節の手術で病院に入院中で発生時から経過をテレビで見ていました。日頃、忙しくテレビが見れないのに、この2つの大震災の時はなぜかテレビの前でしっかり実況中継を確認していました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	目を疑うほどの惨事で、本当にわが身に降りかかった時どう対処するだろうかと、自分に置き換えて悲惨さに心痛めていたことを思い出します。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	あれから１年がたちこの問題は震災を受けた人達だけの問題になりつつあります。日本人皆が、テレビに釘付けになり共に恐怖を味わったはずなのに。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	あれだけの瓦礫の山の受け入れ先がなく、復興に手間取っています。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	各市町村で処理分担を呼びかけても、反対住民が多く受け入れ拒否が続いているそうです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	しかし家をなくし、寒い冬を仮設住宅で過ごす人達の事を思うと、再開発にはまず瓦礫の撤去が優先です。どうして協力できないのでしょうか？</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	日本人の「自分さえ良かったら」という自己中心性が浮き彫りになっているのではないでしょうか。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	ごみステーションは欲しいが、自分の家の前にはおかないでという反対と同じです。私の家の横にもごみステーションがあり、カラスの散らかしたごみとの葛藤がありますが、ゴミステーションの移動は、長年この場所のままでこれも町内会の総論賛成各論反対の一例だと思う。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	しかしそのような問題に触れず、会議などでは「美しい町を」と真顔で正論として雄弁に話されます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	復興の問題に対して、国の動きは本当に遅い。国家権力とまでは言わないが、このような大規模の災害に対処できるのは政治の力しかないのではないでしょうか？</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	も しこれを会社に置き換え、自社内で起こった事なら、仕事に差し障りがでるので、会社全員が各論と考え、社員一同社長の激の基、一丸となって解決に乗り出す のに、国・県・市町村の単位で実行するには、そのトップのリーダーシップの資質と情熱しか解決策はありません。各人が本当に自分達の出来事と置き換えて、 人の痛みを感じ、考える心の広さが必要だと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	会社もだんだん大きくなると、自己の周りしか見られない社員が増え、全体を見るのは総務部の仕事になって一カ所に責任が集中することが多く見られるようになってきます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	そのとき会社の崩壊が始まるのと同じではないでしょうか。総論賛成各論反対の現実を震災を通じて、会社に置き換え、一丸とならなければ何も解決しないことを思い知らされました。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>逆転の発想『食材「夢の王朝」の開発』</title>
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    <published>2012-03-05T00:48:09Z</published>
    <updated>2012-03-05T00:49:34Z</updated>

    <summary> 	本日は逆転の発想で、ものづくりへと繋がった例として、食用金箔「夢の王朝（現ア...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	本日は逆転の発想で、ものづくりへと繋がった例として、食用金箔「夢の王朝（現アニバーサリー金箔）」ができるまでを綴りたいと思います。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	金箔の切り廻し（金箔を約10・９ｃｍ角に切った後の周りの切れ端）は料理やケーキの華飾として、また金箔入りのお酒やお菓子などに頻繁に使用されていました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	平 成元年の頃、当社としても販売に力をいれ営業をしましたが、昔からの下請を多く抱えている大手箔屋の問屋さんの価格提示には惨敗でした。大手さんは地金や 金箔等トータルで価格の調整ができるので、大口需要の取り引きになると、我々は価格競争になり負けてしまいます。たとえ取引が始まっても先方は必ず合い見 積もりを取られるので、納入価格の低さに私達がどんなに頑張っても勝てず悔しい思いをしていました。金箔のグラム売り競争では負けるが、どこにも無いもの を開発できれば大手には勝てるのにと考え続けていました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<div class="image_line">
	<div class="clearfix">
		<p>
			<img alt="120305_01.jpg" class="mt-image-none" height="200" src="http://www.hakuichi.co.jp/blog/images/120305_01.jpg" style="" width="300" /></p>
		<p>
			<img alt="120305_02.jpg" class="mt-image-none" height="200" src="http://www.hakuichi.co.jp/blog/images/120305_02.jpg" style="" width="300" /></p>
	</div>
</div>
]]>
        <![CDATA[<p>
	有る日、風邪をひき苦い薬をオブラートで包み呑みました。喉に通った時「はっと」ひらめきました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	オブラート は手で触れても破れない。しかも水に溶ける。金箔は1万分の１の薄さだがこのオブラートと貼り合わせると手で触れられる厚さになり自在に何か出来るのでは ないか？その結果、金型の刃を作って切れば「寿」「祝」等の文字や、星型や花びら・ハートマーク等の文様が抜けるのではないだろうか？</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	それならグラムで負けても1枚いくらで食品として扱えないのか？</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	「ひらめきは突然」やってきました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	早速開発に乗り出しましたが、異素材を貼り合わせるのでくるくる巻いたり、接着がうまく行かず縮んだり、型抜きした端がつながりすべてがオジャン。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	完成まで随分苦心惨憺。開発に時間が掛かりましたが、ようやく完成したものを「夢の王朝」と商標登録し販売開始です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	最 初はまだまだ安定した金額で販売できませんでしたが、売上が伴う事により価格を下げる事ができ、金箔の食品として安全性にも営業で力をいれさせました。そ れがきっかけで、アラザンやグラニュー糖、チョコレートに金箔を巻く技術や食品安全マネジメントシステムISO22000、工場建設はHACCAP対応に 至るまでになり、食用金箔は、現在国内で高いシェアを確保できるようにまでなりました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	これもグラムでは戦えないよう、異素材との組み合わせで新しい分野への進出のきっかけとなった逆転の発想でした。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>大雪の思い出</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2012/02/post-24.html" />
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    <published>2012-02-25T01:17:33Z</published>
    <updated>2012-02-24T15:50:05Z</updated>

    <summary> 	今年は寒い日が続き大雪に悩まされました。大雪だといっても新潟・富山や東北の大...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	今年は寒い日が続き大雪に悩まされました。大雪だといっても新潟・富山や東北の大変な事を思うと、金沢は生活に支障をきたす事もなかった事に感謝します。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	今年の大雪は観光施設を持つ当社では、融雪装置と除雪機を使って除雪をしますが２０センチ以上降るとやはり大変です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	社員が大勢で除雪をすれば早い事に感謝しながら、ふっと創業の頃や男性社員がまだ2名しかいなかった頃に、雪と葛藤した大変な毎日を思い出しました。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	当時当社は、山王町という山手にありいつも平野部の降雪量より15～20センチ程多く積もる所で鳴和町から山王町までは1本道で約4キロ（約1里）あります。それから急な坂道をあがり500メートルぐらいに自宅兼会社がありました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	雪 が降ると社員の通勤は1本道をのろのろ運転でやっと坂道のふもとまでたどり着き、坂道は道がなくなるほど積もります。幅６メートルの坂道を自分の車が会社 まで行くための道をつくるために除雪し、次に積もった車庫の除雪をして車を入れ、それが終わったら今度は宅配会社など会社に来る車のために道幅を 広げる。500メートルの坂道の除雪は朝の8時から、昼近くまでかかり終わった頃は軍手をはめていても豆がつぶれるほどになります。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	それから仕事を始め、営業に出掛けます。除雪しても、入出荷の宅配会社が坂道を上がれず、出荷物は坂道の下まで１つずつ運んで積み入れする手間も伴っていました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	当時は、雪かきの人夫や除雪機を買えるほど会社に余裕もなく、吹雪の時など凍る程寒い中の除雪は社長である私も根をあげるほど大変でした。勤めてくれているみんなには「良くこんな大変な辺鄙な場所にある会社に勤めてくれました」と感謝したものです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	早く屋根つきのガレージが欲しい、早く平地に会社を移したいと雪の時期になると強く思ったものでした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	辺鄙な山手にあった会社からスタートし、雪との葛藤の日々の思い出話をしてもなかなか現在の社員には到底理解できないでしょう。しかしこの思い出も当社の歴史です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	この思い出話を懐かしく語れる唯一の社員が、常務として残っていてくれます。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>テーブルウェアコーディネートコンテストでの受賞に思う</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2012/02/post-23.html" />
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    <published>2012-02-15T00:42:55Z</published>
    <updated>2012-02-15T00:51:30Z</updated>

    <summary> 	先般、東京ドームで開催された『第２０回テーブルウェアーコーディネートコンテス...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
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        <category term="近頃思うこと" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	先般、東京ドームで開催された『第２０回テーブルウェアーコーディネートコンテスト』で初めて、料理の専門家である服部幸應（はっとりゆきお）先生の「審査員特別賞」を受賞させて頂きました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	今 回は５回目の挑戦でもありましたが、金箔を主体としたインテリアとテーブルウェアのコーディネートで仕上げました。金箔の器に料理を盛る事は、一般的な考 えでは料理が主役にはならず、これまで積極的に使用されませんでした。しかし今回、審査員の中でも、料理を盛りつける器を選ぶ審査員として、一番専門家で ある服部先生に選んでいただいた事が本当に嬉しく「金沢箔の益々の可能性に大きな光を」灯してくださった事にも繋がりました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<div class="image_line">
	<div class="clearfix">
		<p>
			<img alt="120215_01.jpg" class="mt-image-none" height="200" src="http://www.hakuichi.co.jp/blog/120215_01.jpg" style="" width="300" /></p>
		<p>
			<img alt="120215_02.jpg" class="mt-image-none" height="200" src="http://www.hakuichi.co.jp/blog/images/120215_02.jpg" style="" width="300" /></p>
	</div>
</div>
]]>
        <![CDATA[<p>
	私のこのコンテストへの挑戦は５年前から始まりました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	いつもコーディネート部門は１０００件ぐらいの応募があり、会場に行って他の入選者の作品を見て素晴しく感心するばかりでした。ある時ふと「箔一の商品は今まで自ら企画製作して来て今日の箔一が存在するわけで、自分が手がけてきたものと、今後新しく企画製作した作品で、テーブルセッティングをすれば 良い」ということに気がつきました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	そしてもし、自分が企画したものが入選しなければ、自分はプロとして、会社のトップとして社員にもお客様にも申し訳ないと真剣に思いはじめ、挑戦する決意をいたしました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	や はり最初の２年間は気がひけて社員の名前で出展し、いみじくも２年とも入選する事が出来ましたので、その後は『浅野邦子』の名前で出展いたしました。其の年毎に「テーマ」が出され、それにより作品を企画製作いたします。５年連続で入選いたしましたが、入選でもありえないことでしたのに、今回会場に 行きまさかの「審査員特別賞受賞」で、間違いではないのかと疑うばかりでした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	しかし、受賞の喜びと同時に、今までの様な参加の仕方で許されず、アイデアが途絶えたら出品を辞めればいいといういい加減な気持ちではいられなくなりました。また、今以上に新たな挑戦が始まる事となり、ハードルの高い新たな挑戦が待ち受けていて、行き着くところが見えない自分へのプレッシャーを常に掛ける運命である事に気付かされた受賞でした。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>社員に伝えていきたい事</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2012/02/post-22.html" />
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    <published>2012-02-05T05:25:12Z</published>
    <updated>2012-02-05T06:00:33Z</updated>

    <summary> 	現在、箔一の原点である工芸品の製作ラインは、創業から１５年の過渡期に入社した...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	現在、箔一の原点である工芸品の製作ラインは、創業から１５年の過渡期に入社した社員ではなく、新しい人材が主となり工芸品を製作しています。蓄積してきた技術がありますから、それを基盤に新しい発想、新しい技術を加えて発展させていってくれているのはとてもありがたいことです。しかし、どんなに創業時の苦労や会社資源・資材の大切さを語っても、当時の状況を実感していないと中々伝わらないことがあります。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	創業から１０年前後の頃、東京出張の飛行機代も出せず夜行の電車で帰ってきたものでした。それゆえ新商品開発や、資材開発の資金調達に大変な苦労をしたので、包装紙1枚・鉛筆1本を大事な会社資産として大切にし、ケチケチ運動をして会社を大きくしたものでした。</p>
<p>
	<br />
	先般、3月の東日本の震災の時、足の手術で入院していました。現在も自宅で仕事をしてくれているOBの社員がお見舞いに来てくれました。思い出話で久しぶりに盛り上がり、其の中で話してくれた事が「工場に納品に行く度に気になるのだが、工場の棚の上に大切な水押し箔が何箱も放置してある。商品化しないと接着がだめになる。あれは社長（当時）が苦労して開発したもので高い資材だ。なぜいつまでも放置してあるのか心配でならない」との事。</p>
<p>
	<br />
	以前から工芸部門に「この材料は1億の売上を稼いでくれた大切な資源。この資源を活用した商品を製作して水押し箔を使い切りなさい」と指示したにも関わらず、まだ手が付けられていなかったのです。</p>
<p>
	<br />
	どれだけ、昔の苦労や当時の資源を大切にする心を伝えても、会社の成長期を共に歩んで来た社員と、現在の規模になってから入社した社員では、価値観に違いが生じてしまうのは仕方のない事なのかもしれません。</p>
<p>
	<br />
	会社が大きくなる過程では、私の熱い思いを継承し、お金の有り難さや仕事に対するスピード感を共有していました。社員一丸となって「勝どき声」を上げた当時を懐かしく思い出します。現在の会社では財務の健全さ、部門別の縦割りによる弊害、パソコンによるコニュケーション不足等などが、会社の危機管理に連動していません。現状の問題点をどう理解させていくのかは創業社長の私の務めだとつくづく感じた一齣でした。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>逆転の発想「水押し箔の開発」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2012/01/post-21.html" />
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    <published>2012-01-25T05:07:59Z</published>
    <updated>2012-02-15T00:50:15Z</updated>

    <summary> 	今回は、逆転の発想の３つめのお話をさせていただきたいと思います。 	 	変色...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	今回は、逆転の発想の３つめのお話をさせていただきたいと思います。</p>
<p>
	<br />
	変色箔でオリジナル性の面白さをセールストークに販売し、売上げを確保していた頃、デパートではギフト商品として、同じ柄の銘々皿や茶托など5点セットの販売が主となってきました。</p>
<p>
	<br />
	変色箔は金属の変色する特性を活かしているため、同じ模様に出来ません。オリジナル性を求めるお客様と、均一な同じ模様の商品を求めるお客様に2分されてきました。おりしもデパート問屋との取引も始まりギフトの注文が急速に伸び商品製作に追われる毎日でした。<br />
	&nbsp;</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	社員も１０名ほどになっていましたが、両方のお客様を得るためには薄い箔を手貼りで生産していては追いつかず、何かオリジナルでかつ模様が均一で、手貼りより少々早く製作できる技術を開発しなくてはなりません。</p>
<p>
	<br />
	<br />
	そこで、均一な金箔紋様商品を製作するため、金箔に特殊印刷をする事を思いつきました。金箔に特殊印刷するには金箔の台紙を作らなくてはならず、表は金 箔、裏面には接着剤を塗り特殊な紙を作りました。ただ、この紙は硬く印刷機に掛からずどこも取り合ってはくれませんでした。</p>
<p>
	<br />
	やっと１件の印刷会社が引き受けてくださいましたが表面の金箔がはがれ苦心惨憺です。<br />
	試行錯誤を繰り返し、金箔の上に美しく特殊印刷で仕上げ、裏面の接着剤は水の中で溶かし商品に貼り付ける「水押し金箔紙」が完成しました。このオリジナル 商品は、変色箔の商品とは違い安定的な生産ができたので、納期の確約が出来、ギフトとして全国のデパートに取り上げていただけました。</p>
<p>
	<br />
	<br />
	昭和62年の頃でした。</p>
<p>
	<br />
	<br />
	繊細な金箔の台紙に印刷をして、その台紙に接着剤を施し水の中ではがし、それを貼り付けるなど素人ゆえの苦肉の策から生まれた発想でした。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>JR脱線事故の判決に思う、企業コンプライアンスについて</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2012/01/jr.html" />
    <id>tag:www.hakuichi.co.jp,2012:/blog//41.360</id>

    <published>2012-01-15T04:15:32Z</published>
    <updated>2012-01-15T03:13:17Z</updated>

    <summary> 	逆転の発想（３）は次回に回し、今日は106名が死亡した2005年のJR脱線事...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="創業者としての想い" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	逆転の発想（３）は次回に回し、今日は106名が死亡した2005年のJR脱線事故でJR西日本の前社長の無罪判決についての私なりの考えを綴りたいと思います。</p>
<p>
	<br />
	1月11日の判決で「事故は予測できる可能性は無し」と急カーブの自動列車停止装置（ATS）を設置するなどの必要な安全対策を怠ったと検察側が主張したが、事故が起こりえる具体的な根拠が示されないと前社長の個人の過失責任を問う裁判で無罪判決となりました。当時の運転手は死亡していて、誰に無念さをぶつけていいのか106名の遺族の悔しさや憤りは推し量られます。<br />
	企業のトップの過失責任を追及する困難さや難しさを問うた判決でした。<br />
	<br />
	&nbsp;</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	しかし、われわれ民間の企業は、社員が起した事故は全て経営者の責任であるとの熱い思いで会社経営に取り組んでいます。</p>
<p>
	<br />
	それゆえ社員教育や徹底した品質管理を昼夜指導をし、すべての事故に対しても経営者の管理能力が問われることは当然で、全責任を負って真剣勝負で経営に望み、隅々まで目を行きとどろかせています。</p>
<p>
	<br />
	起こりうる事故を未然に防ぐために現場を回り、管理監督者の指導強化をする事は中小企業には当たり前のことなのです。しかし、この当たり前のことが大企業では 創業者の熱い想いから、給料社長に代わりだんだん責任の所在が明確ではなくなっていきます。故に、原発事故などが起こるのです。大企業の起こした事故の補償が、なかなか解決されていないのは事故の責任の所在が明確でない事からでしょう。</p>
<p>
	中小企業経営者は経営を行ううえで、法令や各種規則などのルール、 さらには社会的規範などを守るコンプライアンスは経営を継続させて頂くための1番の大切な事でしょう。一般市民が法律を遵守することと同じ事だと思います。</p>
<p>
	<br />
	当社も創業者の熱い思いをつないで行く事が会社を存続させることだと常に思っております。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>逆転の発想「金箔打紙製法での化粧紙の開発」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2012/01/post-20.html" />
    <id>tag:www.hakuichi.co.jp,2012:/blog//41.359</id>

    <published>2012-01-05T03:33:46Z</published>
    <updated>2012-01-05T03:39:42Z</updated>

    <summary> 	今日は、逆転の発想によって、あぶらとり紙が生まれるまでを書かせていただきます...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="創業者としての想い" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.hakuichi.co.jp/blog/">
        <![CDATA[<p>
	今日は、逆転の発想によって、あぶらとり紙が生まれるまでを書かせていただきます。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	創業間もない頃、金沢箔工芸品を営業して全国を回っていると、ある所から「工芸品は必要ないが、金箔打ち紙の脂取り紙を仕入れたい」という声をいただくことがありました。初耳だったので詳しく聞くと、金箔を打ち伸ばす時に使う打紙で、打ち古したものは「ふるや」と言われ顔の&ldquo;脂取り紙&rdquo;として京都の祇園の舞妓さんや、粋人さんの間で重宝されるとの事でした。用済みの紙でも付加価値が高くなかなか手に入らないとのことでした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	工芸品が売れなくて困っていた時の注文なので、早速金沢へ戻り、金箔の職人さんのところへ売って頂くよう回りました。しかし、職人さんは自分に仕事にを出してくれる問屋さんのところへ「ふるや」を収めるので、私のような新参者へは回してもらえません。当時は、親方と子方のラインがしっかりとしていたのです。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<div class="image_line">
	<div class="clearfix">
		<p>
			<img alt="120105_01.jpg" class="mt-image-none" height="200" src="http://www.hakuichi.co.jp/blog/images/120105_01.jpg" style="" width="300" /></p>
		<p>
			<img alt="120105_02.jpg" class="mt-image-none" height="200" src="http://www.hakuichi.co.jp/blog/images/120105_02.jpg" style="" width="300" /></p>
	</div>
</div>
]]>
        <![CDATA[<p>
	１枚を見本で頂いた「ふるや」を肌に当てると、柿渋の臭いでとっても臭く、そして肌に違和感を覚え、当時若かった私には、どうも馴染めない商品でした。後継者も少なくなっている箔業界で、将来打ち紙の供給はままならない事と、若い女性がこの紙を化粧紙として、今後使っていくのか疑問が残りました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	考えた結果、自 分のオリジナル脂取り紙を作ろうと思い立ちました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	<strong>「金箔を打ち古した紙が脂取り紙になるのなら、</strong><strong>脂取り</strong><strong>を目的とした打ち紙を作ったらどうか？」</strong></p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	まさしく逆転からの発想です。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	金箔製造の伝統技法を基に、新しい脂取り化粧紙を開発し<strong>昭和５０年に特許を取得</strong>しました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	これが今、５００億円の市場になる脂取り紙のブームになるきっかけでした。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	しかし金沢ではいくら特許を取得したといえど、「偽者・伝統を汚す」と非難が多く寄せられ、県や市に何度も呼び出され注意を受け調査に来られました。普通ならひるむのですが私は信念がありました。いずれ後継者不足になる事と、箔打ちの伝統技法を変えることなく顔の脂をとる事が目的の化粧紙は、いずれ世の中の女性達の必需品になる事を肌で感じていました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	新しい事に積極的ではないのが世の常識ですが、そんな非難を浴びる金沢では販売せず全国へ「金沢金箔打ち紙製法の脂取り紙」として営業を掛けた事が、今日の脂取り化粧紙のスタートと、我が社が後に大きく発展できた基になりました。</p>
<p>
	&nbsp;</p>
<p>
	昭和５０年の出来事でした。</p>
]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>「逆転の発想」からの自社独自の技術開発</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.hakuichi.co.jp/blog/2011/12/post-19.html" />
    <id>tag:www.hakuichi.co.jp,2011:/blog//41.357</id>

    <published>2011-12-24T15:40:58Z</published>
    <updated>2011-12-26T02:12:07Z</updated>

    <summary> 	我が社の技術は創業の時より「逆転の発想」から生まれたものばかりです。 	 	...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <![CDATA[<p>
	我が社の技術は創業の時より「逆転の発想」から生まれたものばかりです。</p>
<p>
	<br />
	創業間もない頃、資金が無く高い金箔は仕入れられず銀箔と真鍮箔の安価な箔での商品作りからスタートしました。</p>
<p>
	当時、山中漆器は真鍮箔の上にスクリーンで蒔絵が加飾されていました。箔を貼っただけの私の技術はまだまだ未熟で、仕上がったものがいつの間にか変色してきました。完全に失敗作品です。途方にくれていた時、変色した箔の隅に１ミリぐらいプリズムのような色が発色しているのに気が付きました。自然に酸化し変色したのなら、この状態に故意に変化させれば美しい変色箔ができるのではないか？と思い立ちました。</p>
]]>
        <![CDATA[<p>
	銀は銀色が当たり前の時代に、失敗したものを主役にして商品化し、オリジナルブランドとして商売につなげていったのです。</p>
<p>
	失敗から生まれた商品ですから１つたりとも同じ物は出来ず、それが又斬新で東京のデパートからスタートしました。</p>
<p>
	<br />
	なぜなら、私は箔については素人でした。ですから、地元の業界で「こんなものは伝統の箔ではない」と批判されるであろうという事は覚悟の上でしたが、言わ れるのが恐ろしく、外堀をまず埋めてから金沢に戻ろうと考えました。当時まだ「箔」の字を「箱」と読む人が多く、金沢箔の認知度も低い時代でした。</p>
<p>
	何とか「金沢箔工芸品」の知名度を上げることが、金沢箔が売れ、業界が活性することになるとしか考えず、自社独自の技術開発を進めていったのです。</p>
<p>
	今年のブログはこれが最後になります。来年から逆転の発想から技術開発を進めてきたお話について順次お届けしたいと思います。</p>
<p>
	皆様、良いお年をお迎えください。</p>
]]>
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